眠るなら。

考えたり。

姿勢

わたしは傲慢で在れない。

自分の世界や価値観を、すべてのヒエラルキーの上における人がいる。

その姿を見かけるたびに、胸の奥が引き絞られるような心地を覚える。

端的に言ってしまうのなら、羨ましくてたまらない。

憧憬の念を抱いているとも云っていい。

 

なぜなら、わたしはそうしては生きてこられなかったからだ。

自分自身を社会に合わせてチューニングしなければ

なにもできなかった。

だからこそわたしの思考フォーマットは、

自分以外の考えや理論や感情をぶつけることによって成立している。

 

人間が異端を嫌うのは当たり前のことだ。

群体で生きるには、思考はある程度統一されなくてはいけない。

わたしはそのことを嘆かない。

だが、傲慢という意思を持って異端であることを肯定し、

なおかつ母体に反抗できる人は、凄いと思っている。

 

それでも道理も解さずにただその場に騒ぐなら、

それは傲慢ともいえぬ無知だ。

どんな態度に出る前でも、相手のことや取り巻く状況を

知りもせずに大口をたたくべきではない。

このことだけは何を考えるときでも念頭に置いている。

 

傲慢は悪ではない。

無知も悪ではない。

ただ、知るべき時に知ろうとしないのは、悪だ。