運用
偉そうなことばかり書いている気がする。
それはきっとわたしの言葉には、
そうするべきという意味合いを含むことが多いからだろう。
しかしそれは他者へ向けられたものではない。
これらはわたしにしか適用されるものではないからだ。
人間は思考の方法も、感情の発露も千差万別だ。
ならば一個人で運用がうまくいったからと言って、
それを他者へ薦めるならともかくとしても、
押し売りをするのは知性が足りないといえるだろう。
なかなかにきつい物言いになってしまったが、
訳としてはそのようなことをやらかす手合いを、
わたしは嫌悪するからだ。
どうにも言葉に棘が多くていけない。
きちんとした理由を述べよう。
他者に対して自分の方法論を押し付ける人というのは、
概して自分という存在は基本であると思いがちだ。
つまり他人と自分に差異があり、同一ではないという認識が薄いのである。
これはなかなかに厄介だ。
自分が平気な事を、相手が苦手としているという想定がない。
こういう類の人物がいると、
支援が必要だと訴えても聞いてもらえないことがある。
正直なところ面倒この上ないのである。
もし自分とは違う、でも素敵だと思う価値観に出会ったら、
それをまるまる自分に適用するのではなく、
エッセンスをもらうくらいから始めるといいかもしれない。
そして自分と相容れないものに出会っても、
喧嘩を吹っ掛けられたりしない限りは、
ねじ伏せようなどと考えないほうがいい。
エゴは自我そのものだ。
それ自体は悪でも全でもなく、ただそこにある営みである。
だがそれと主張をもって他者への度を越えた働きかけをして、
相手を殴るのならば、それは行き過ぎた傲慢というものだろう。