足跡
少し記事の日が開いたが、所用で実家に帰っていた。
わたしはよく営みという言葉を使う。
それは人間として自然なこと、
そして人間であるために必要な条件、と言い換えることができるかもしれない。
その核となるのは進むことだ。
どこまで往こうと人間は生命から逸脱できない。
何があろうと人間は動物でしかない。
そして動物の本質は継承であり、
人はまた新たな明日へ自らを受け渡すのである。
停滞はそれすなわち死そのものだ。
逆説的に言えば生きている限り歩みは決して止まらない。
そして生きる事こそが繋ぐことだ。
わたしは女だ。子供を産める体だ。
人は群体としての生命だ。子供を産むのは種の新陳代謝なんだろう。
子供を産まなきゃいけないなんて欠片も思わない。
けれどそれ自体は尊いことだ。
何を愛したっていい。何に恋したっていい。
それは何にも代えがたく素晴らしいことだ。
けれど男女の間にしか子供は生まれない。
あたりまえのことだ。
きっとそれが愛と営みを隔てるものだ。
思えば人は随分と幸せになったのだろう。
ただ生きなければならないという壁を乗り越えた先に今がある。
そして生きることと命を奪うことは随分と遠ざかった。
しかし失われることのないことだ。
わたしたちはたった一つの命と無数の死でできている。
そしていつかは糧となるだろう。
わたしたちは、無数の死体が連なる線のその先端なのだ。