眠るなら。

考えたり。

現実

経験が現実を作る。だがそれで真実を語ることは危うい。

 人間は思考を共有できない。多くの現実が重なり合って、真実を作る。

 

わたしは断定を使わない。それは恐れているからだ。

なにを?誰かの現実を侵すことを。

怖がりなだけだ。誰かに言葉を伝えたいと思っているのに。

しかし理解を拒絶してもいる。孤独に独占欲さえ抱いている。

 

自分にとって思考は生きることと言ってもいいし、最大の娯楽であるとも言える。

もし考えるのをやめれば楽になれるのならわたしは苦しんでいたい。

 

特別めんどくさい生き方をしているのかもしれない、とは思う。

けれど何よりもわたしはわたしでありたいのだ。

誰かにすべて身を預けていたいと思いたくない。

そう思うわたしを一回一回殺し続けてさえいる。

この誓いから解放されてたまるものか、

わたしを開放しようとするなと叫んでいるのだ。

もしかしたら他人の目から見ればそれはそれは苦しんで、

窮屈に見えるのかもしれない。だが他人は他人だ。

 

わたしはここに踏み込もうとする人間と出会うたびに

少年の日の思い出のエーミールのような気持ちにさえなる。

「そうかそうか、つまり君はそういう奴だったんだな。」と。

 

人は自分からしか変わらない。他者は材料を与えるだけだ。

だって人はわかりあえないからだ。ひとりひとり何もかも違う。

それこそ共通項は人間であることくらいかもしれない。

 

そしてだからこそ人間に夢を見ている。

言語は断絶を覗く窓だ。だからすがりさえしているし、

やっぱり現実を侵すことを恐れてもいる。

誰かの現実が己の現実を侵すことは何より憎い。

結局ひとりでいたいのかもしれない。

それでもきっと手を伸ばしてしまうんだろう。それが私の性分だ。