眠るなら。

考えたり。

信仰

わたしはこれでも宗教的な人間だ。

自称ではあるが、目に見えぬものを信じる類であるのは確かだ。

それはきっとわたしの生まれにも関係するのだろう。

 

わたしの実家は数百年同じところにある。

三か月に一回は家にお坊さんがくるし、

お寺の檀家でお宮の氏子だ。水神様の祭りなんかもやる。

ついでに言うなら祖母の実家はカトリックで、

家の役目としてお寺もやっていた。

毎月一回は何かしらやっていた記憶がある。

これを宗教といっていいものか。

これは当たり前のことで、やるべきことだったのだ。

 

わたしは人ならざる者の存在を否定しない。

それを神と呼ぶか妖と呼ぶか、

はたまた魔と、鬼と呼ぶかは人の勝手な認識次第だ。

そしてそんなものいないと言うも善しだ。

だがいないという確証もないことは心に留めておくべきだろう。

 

宗教は、その地に根付いた人々が生き抜くために作り上げた

精神の道であり体系だ。

その地に根付く神話こそが文化や思考の傾向の礎となっている。

信じる人を愚かというならば、

それは随分と幸せに生まれたようでなによりだ。

しかしゆめゆめ驕ることなきよう。

わたしたちがここに立つ現在こそ、

信じて歩んだ人々が作り上げたものだ。

それさえもわからないならば、それこそが愚かといえるだろう。