眠るなら。

考えたり。

前提

地に足ついているんだね、と言われた。

どういうことなんだろうか。

なんとなく察するに、厭世的ではないということだろうか。

 

確かに、わたしは世間への暴言は吐かない。

それに人間を憎んだり、疎ましく思うことも言わない。

生を放棄したいと言うこともない。

そしてそれを思うこともない、と

捉えられがちなのかもしれない。

だからこそこんな発言が出たのか。

 

だがわたしとて人間だ。

負の感情など抱いて当たり前の代物である。

単にこのような言葉を発しないのは、

感情を思考による論理が上回っただけのことだ。

 

これを抑圧と呼ぶ人もいるのかもしれない。

しかしそれの何が悪いというのか。

わたしの思考にはルールがあり、

感情はそれに従うものではないというだけの話だ。

 

情動は自己と同一ではない。

ただ、切り離してよいものでもない。

思考と情動の二つの軸がそろってこそわたしであると言える。

否定する必要などどちらにも存在しない。

 

その上でわたしが厭世的なことを発言しないのは、

自分自身が人間であるからだ。

今の情勢を見て、現在の一つの個人、一つの群、一つの事柄

に対し否定的であるのは、ごく普通のことだろう。

 

ただし、それが人間という種そのものへの言い草ならば話は別だ。

わたしたちが関与できない時代の事柄に対して

こうすればよかったのに、という言葉を使うのは、

少なくともわたしの目から見れば醜悪な物言いである。

なぜなら責任を負うことがないからだ。

歴史のifを語る議論とすれば有意義だが、

嘲意をもって発されたならば、

それは発話者のお里が知れる振る舞いとしか言えない。

 

歴史は先人が死に物狂いで選択した、

最高ではないができる限りに良い道の概略だ。

そしてそれのたどり着いた先が今であり、

今も新しい道は敷かれ続けている。

無理に尊敬しろとは言わないが、

現在を生きるわたし達が、

真の意味で否定することはきっとできないだろう。

 

わたしたちは人間だ。

そして人間は動物だ。

それだけは、忘れてはいけないと思っている。