言語
よく理屈っぽいと言われる。
わたしが親しんでいる界隈では、枠に縛られたくないと
アウトローに振舞う人も多い。
直感のままに生きたいのだと聞いた。
言語の外で思考したいのだと。
だが、それをわたしたちは感知できるのだろうか。
基本的に思考は言語を介したものではない。
わたしたちは、思考に言語を用いない。
だが、自分自身を知覚するためのレンズとして、
言葉はそこにあるのだと私は考える。
わたしの思考はどこまでも肉体本位だ。
だからこそ直感がわからない。
何も理論が総てだと言っているわけでもない。
ただ、わたしが言語を抜きにして感じ取るものは、
たしかな五感の質量を得ているものだ。
ふと思う。直感と呼ぶものは、何から来たのだろうと。
特別になりたいと願うひとがいる。
普通でありたくないと言っていた。
特別でしかあれない人がいる。
普通ではいられないのだと言っていた。
そこにあるのは確かでどうしようもない断絶だ。
独り砂漠を歩く孤独に苛まれて、
わかりあえないままわたしたちは生きてゆく。
本当はわかりあいたくなんてない。
わたしはわたしのままにいなくてはいけないし、
わたしのままで、いたいのだ。