眠るなら。

考えたり。

解体

こんなわたしにも趣味がある。

歌だ。幼少のみぎりから兎にも角にも歌ばかり歌っていた。

保育園の先生には卒園式に自作の歌をプレゼントしたし、

小学校のときには父と二人で路上ライブをやって、

中学では友達とイベントに出て、

高校ではバンドをやっていた。

今は?と訊かれると、実は何もやっていない。

たしかに人よりカラオケは好きだったりするが、

本当に何もやっていないのだ。

 

やりたいという気持ちはある。

だが恥ずかしいことに、仲間に声がかけられないのだ。

 

わたしは人が怖い。

人という営みは何より素晴らしいとさえ思っているのに、

自分自身がそれを裏切ってしまうことが憎らしい。

 

どれだけ言葉を尽くしても、

どれだけ手段を工夫しても、

返ってくるのは「理解できない」という戸惑いの視線ばかりだ。

そんなことを幾らも繰り返したのち、

わたしは、もしかしたら考え方のフォーマットが違うのではないか?

というところに至った。

もともと知識としては自分に発達障害があるということは知っていたし、

それがやっと腑に落ちたようだった。

 

相手の思考経路など、いちいちやってはいられない。

だから、わたしは自分の思考を解体することにした。

いままで何を見聞きし、何を得たのか。

それを辿っていくことで、自分への予測をつけるようにしたのだ。

そのために、わたしは自分専用のメタ自分をもっている。

やっていて結構楽しいので、今はこれが趣味といえるだろうか。

 

本当のわたしなんてどこにもいなくて、

いるのは自分自身で積み上げてきた私だ。

きっとその外殻をはがされたら、

空間だけが残ることだろう。